ヒトはなにを食べてきたのか?
縄文は意外にモダンな時代だったのではないでしょうか?
2016.5.1縄文時代を訪ねて、ヒトはなにを食べてきたのかを探る。
青森市にある「三内丸山遺跡」は、縄文時代前期中頃から中期末葉の日本最大級の大規模集落跡であり,4000 から5500年前の集落です。
住居・墓・捨て場・大型掘立柱建物・貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路などが、計画的に配置されている。
大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。
驚いたことには土器に入れられていた子供のお墓が住居跡の付近にそれぞれあったこと、その数は大人の墓の3倍で、800にもなるという。
精巧につくられた釣り針や、縫い針に縄文時代の生活が意外に進んだものだと認識を新たにする。
タイや、ブリやヒラメを食べていたこと、ウサギやムササビなどの小動物の骨が70%を占めるとは、ジビエのグルメな生活と糖質制限的な時代をうかがわせる。
遺跡から出土した栗をDNA鑑定して、栽培されていたものであること分かり、(クリ・クルミ・トチなど)の殻、一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土している。
三内丸山の人たちは、自然の恵みのみに依存した採取のみでなく堅果類の樹木を植栽していたらしく、この遺跡の居住者数も最盛期の縄文時代中期後半には500人もの居住者がいたのではないかといわれている。
北海道や新潟方面の黒曜石やヒスイなども交易で手に入れていたらしい。
縄文は意外にモダンな時代だったのではないか。
そんなことを考えさせてくれた小高い丘の遺跡群でした。